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石林鹵腐の伝説

著者: ソース: 更新:2019-04-28

石林で最初に鹵腐を発明した人は誰なのか、誰も確かなところは言えない。ある美しい感動的な恋愛伝説が民間で広く伝えられている。

むかしむかし、石林県黒龍潭のそばに、娌妹というイ族のサニ娘が住んでいた。彼女は美しくて、頭の回転が速く、手先も器用なので、女に結婚を申し込む男性が後を絶たない。しかし、母親を早く亡くした娌妹の継母は悪賢く横暴な女で、彼女をお金持ちの家に嫁がせて、手厚い結納をもらうことを企んでいた。

実は娌妹には気に入った男性がいた。彼はまじめで温厚で誠実な羊飼いの阿魯だった。それを知った娌妹の継母は阿魯に、黒龍潭の水で豆腐を作り、それでお金を十分に稼いたら、娌妹を嫁に行かせると言い出した。そして、阿魯は娌妹の家で豆腐の商売を始め、朝早くから夜遅くまで大人しく働いてから九年が経った。阿魯は自分がどれぐらい豆腐を作ったかもよく覚えられず、稼いた銅貨の数も数え切れないが、欲張りな継母はいつもお金が足りないと言っている。

ある年のたいまつ祭の日、若者たちはみんなレスリングや闘牛、三味線踊りを見に行ったが、娌妹と阿魯だけが豆腐を売っていた。しかし、多くの豆腐が売り残され、家まで持って帰るしかなかった。ところが、数日後、豆腐が臭くなってしまい、娌妹と阿魯を困らせた。二人がじっと考え込んだ結果、やっと補う方法を見つけた。二人は臭くなった豆腐を小さく切り、唐辛子と八角などの薬味を混ぜ、白酒を噴き、ごま油を入れ、それを野菜の葉で包んだらかめに入れ、油紙でかめの口を封じた。しばらく経ったら、なんといい香りがするようになった。二人はこれを「鹵腐」と名づけ、街端で売ったら、通行人が食べたくなり競って買うようになった。

の後、娌妹と阿魯は小さいかめを大きいかめに変えて、商売がどんどん繁盛し、鹵腐の専門店を持つようになった。この光景を目にした娌妹の継母も二人の結婚を認めるほかなかった。真剣に愛し合っている娌妹と阿魯は最後には夫婦として結ばれ家族となった。(文章はネット資料に基づいて編集)

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