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著者:楚天秋 ソース:『路南民間民話』より 更新:2019-04-28
石林から西北10数キロのところに、巨大な石が奇峰のようにそびえ立つ。遠くから軍旗がゆったりとはためき、物々しい陣営のように見えるが、近くで刀剣が林のように、精強な騎馬隊が走っているように見える。これは遠近で有名な乃古石林である。
これらの奇峰や不思議な石はどこから来たのか。ここでは美しい伝説が伝わっている。
昔々、都にいる残忍な国王は、税金を過酷に取り立て、過度に情欲にふけ、暴虐をむさぼり、独断専行し、正義にもとり時流に逆行し、人民が生活困難で暮らしていけな異状態に陥ったという。
ある年に、天柱という青年がやって来て、人民のために害を除こうと決心した。彼は神様の伝授を受け、撒いたゴマを兵に変えることができる。この日、彼は連夜で一石八斗のゴマを和摩站の近くの大地に撒い。神様の意向によると、彼は百日ドアを開けずに、兵書を苦学し、線香をあげてぬかずければ、ようやく偉業を成し遂げることができる。また、神様は百日後に三本の神矢を彼に与えると約束した。この三本の神矢は、一本は国王の喉に撃ち、一本は国王の胸に撃ち、に撃ちは国王の下腹に撃つ。
それから彼は門を閉ざして苦学し、線香をあげてぬかずいた。数十日後、机の上にある香炉の中から根っこのないまっすぐな草三本が青々としく生えてきた。天柱はこれが百日後の三本の神矢だと気づいた。
光陰は矢のようで、またたく間に九十九日が過ぎた。和摩站の近くは兵営が果てしなく繋がっている。将軍と元帥が命令を発すれば、兵士がうずうずして馬は啼き、国王を討伐する大軍がは全ての準備が整い出発を待っていた。
天柱の隣に住んでいるのは王氏の女性で、誰もその名前を知らずに、王婆さんと呼んでいた。王婆さんはたくさんの鶏を飼っていて、普段昼は外に出して夜は鶏小屋に入れるそうだ。天柱が閉門して兵書を苦学し、線香をあげてぬかずいてから満九十九日の日に、王婆さんの鶏は突然何羽も姿を消した。百日目の朝になっても、王婆さんの鶏は帰ってこなかった。そこで、王婆さん街端で鶏を罵り始めた。隣の天柱が家にいるのに三ヶ月以上ドアを開いていないのを見たら、天柱が自分の鶏を盗んで食べたと疑った。王婆さんはまず鶏や犬を罵ったが、天柱は我慢した。隣がドアを閉めたままにしてものを言わないのを見た王婆さん、天柱が鶏を盗んだと確信し、名前を直接言ってドア前まで来て怒鳴り始めた。
聞き苦しい罵倒を聞いた天柱は、屈辱のあまりにこれ以上耐えられず、百日間門限を忘れて、ドアを開けて王婆さんに説明した。れまでの努力が無駄になった。香炉で青々としたまっすぐな神矢草が枯れてしまい、大勢な兵隊軍馬は、すべて巨石になった。高石肖にいる先鋒将軍は、元々天柱にとって腕利きの大將だったが、彼らも巨石になり恨みを抱きながら静かに立っていた。その後に、人々はそれを「後押し石」と呼ぶようになった。すさまじい事業はこのまま葬られた。しかし、大きな石になった兵隊は雄々しい心を忘れず、堂々たる気概を持ちながら一日一日と高くなっていた。これは天神を怒らせてしまった。天神は、高く伸びる勇気がなくなるまで、石群れを鞭で思い切り打た。天神の鞭で打たれた巨石には、深い鞭痕が今もまだ残っている。